糸楽


※ 展覧会の様子がパノラマでご覧になれます





糸楽 第23回展 2023 3,2~19

相本みちる 遠藤和帆 きとうみちえ 田中誠 田中ヒデキ 中村ゆき Mizzy蓮尾     広瀬明日子 武笠街子 山﨑美樹 矢野理恵


当館で8年ぶりの待ちに待った文字通り「楽しい」展覧会。糸と名がついているが、ソフト・スカラプチャー、立体造形、空間造形でもある。今や、こうした作品は、イタリアのビエンナーレ、カッセルドキュメンタ、ニューヨークのギャラリーやデュッセルドルフのK21美術館などでもよく見る。そういえばK21にクモの作品があった。今回の作品たちの主張、スタンスはそれぞれ違うが、小学校の図画工作のようにいかにも楽しげで「糸楽展」は楽しいアートを目指している。作者から独立した作品たちの待ちに待った晴れ舞台。来館者の作品を見る目は、いつもより暖かい。ことさら「芸術」と気張らず、アートシーンでの上昇志向もなく、自分たちは自分たち、というクールでホットな人たち。しかしよく見ると凄い。芸術作品はすべて手作りだが、手作りの物には何かが宿る。今回、蓮尾、中村、矢野さんの3氏は毎日のように来館されて観客と歓談された。思えば当館のフォーラムとは様々の人々が出会う場のこと。美術を介して人々が出会うことは、美術の目的であったのかもしれない。そして展覧会は様々な意味で一期一会のパフォーマンス。このまま展示していたいと思わせる。糸楽展には坂田一男のいうアバンギャルドの3つの精神、反権威、反アカデミズム、反商業主義が意図せずに実現しているように見える。



会場 左 中村ゆき、右 矢野理恵

 


会場 手前 田中誠、奥 中村ゆき



会場 左 田中誠、右 武笠街子



会場 左奥 広瀬明日子、右 田中ヒデキ



 会場 手前 Mizzy蓮尾、奥 広瀬明日子



作品コメント あいうえお順 『』は作者のコメント、()は館長の補足
1、相本 みちる 「呆気羅漢」
『人の手にはめ裏方作業をしてくれている再生軍手や園芸手袋を表舞台に。作品は羅漢様の他、後光にも何か・・・。楽しんでみてください。』
(羅漢とは、悟りを開いた高僧のこと。しかしこの羅漢様たちは果たして悟りを開いたのか。ある者は泣き、ある者は笑い、ある者は怒る。またある者は賽銭を要求(?)。なんとも騒がしく人間的。ユーモアと笑いが芸術の目的なのだと悟りを開いた相本上人はおっしゃる。ありがたい。)



「呆気羅漢」



 


 



2、遠藤 和帆 「Patch dynamics」
『小さなかたまりはさまざまな生命の集合体。小さな空間の中の動的均衡がたもたれつつ他を吸収したり共調していくことで大きくなる。一つ一つは別の生命群でありながら多様な生命が存在する小世界の中で新しい造形が生まれ死ぬことで存在する生命群集。それぞれの死の上に存在する生命。極小生命群は考え続ける一つの生命体。それは新しい命のよりどころとなる。』
(Patch dynamicsとは、生態系の構造、機能、およびダイナミクスが、それらの相互作用パッチを研究することによって理解できるという生態学的視点。ここに展示された動物の頭蓋骨。三つは鹿で一つはイノシシ。頭蓋骨になぜか金属や金箔が施されていて、金継ぎされた美術品のたたずまい。茶色はベンガラだが、血のようにも見える。動物たちは死んでも生命の痕跡は残り、種として命は続いていく。)
 



「Patch dynamics」 



 



 



3、きとう みちえ「過ぎ去りしもの(2021)」「59(大黒)」「お前が得たものは何か(1995)」「お前が失ったものは何か(1995)」
(赤、金、銀、メタリック調の布を駆使した立体オブジェ。「過ぎ去りしもの」は小惑星イトカワよりインスピレーションを受けたという。この惑星は二つの塊がくっついている形をしていて楕円軌道で回っている。他の作品はイソギンチャクやオニヒトデのようにも見える。生物のようでもあり無機物のようでもある。様々なメタリックな布による突起でキラキラと輝く様子は怪しげで、かつ生きているような生命感を感じさせる。)



 


「過ぎ去りしもの」の部分 



「お前が失ったものは何か」 



4、田中 誠 「ノルン」「希う」「苛まれる」「塗れる」「無垢」
『「ブスブスとニードルを刺して自分の想いを留めています(赤い字で記載) 』
(羊毛のようなソフトな素材の物体をニードルで刺してへこませたシュールな造形。作者の「想い」は不明だがコメントは少し怖い。作品に宿る「想い」はともかく作品を遠目で見ると季節柄目につく桜の老木の太い幹のような、あるいはジョルジョ・デ・キリコのマネキンのような不思議な作品でユニークだ。) 



 



 


 5、田中 ヒデキ「人に棲む」「暦を呼吸する」「人の棲む世は」「メビウスにむかう」 
『「あわい」の中で」「実体と影、表と裏が一体となった作品をつくっています。今、私たちを取り巻く世界で、夢や現実・希望や未来・暴力や恐怖・心に潜む不安感など、一つの方向を見つけ出すことが難しい日々が多くなっています。その中で、今の自分の心の立ち位置を確認してみてほしい・揺れる思いの中、今日一日の夢や希望・未来の在り方についての方向を見つけ出してもらえたら。そんな思いで4点の作品を出品します。』
(赤茶や黒のマスクをかぶった不思議な網の作品が空を舞っているように高く飾られ、それらが壁に影を落としている様は圧巻。一見ワイヤーに見える細い藤を組み合わせて造形させ、漆で接着し、塗っている。日本の漆工ということになるのだろうがユニークだ。一転してよく見ると黒色のアフリカンのマスクはまるで広隆寺の弥勒菩薩のような静謐な表情。「人に棲む」の赤茶色のマスクは能面のようだ。



 「人に棲む」



 「メビウスにむかう」



「メビウスにむかう」部分 



 6、中村 ゆき 「記憶のかけらたち」「In My life」「Somewhere before」「Blue」「It’s a beautiful day」、
『小さな四角の帆布を、絞ったり、板で締めたり、色を重ねたり、抜いたりして、一枚一枚染め、キャンバスに張って作品を作っています。偶然生まれた色と形の集まりが、ふと遠い日々の出来事、風やにおい、空気感をよみがえらせてくれ、なつかしさに包まれる瞬間があります。そんな記憶のかけらたちを、小さな布に写し取れたらと思いつつ・・・。』
(「記憶のかけらたち」は吹き抜け部に展示された手すりの表と裏からも見らることができる大きな3枚の作品で新作。4つの作品はさらに様々な作品の集合。題名はかつて聞いた音楽にインスパイアされたもの。絞りや板染めによってできた光輝く万華鏡のようであり花の花弁のようでもある。それはまた作者が無類の花好きと関係しているのだろう。)



「記憶のかけらたち」



「Blue」一部 



「It’s beautiful day」 



7、Mizzy 蓮尾 「Living on blue planet 青い地球に生きている」
『私は〈変形菌〉のライフサイクルにインスパイアされ、地球上の生命の循環と、人間への興味を原動力にして、心でしか捉えられない未知の世界を可視化できないか日々模索している。』
(天井からたくさんの作品が吊り下げられ、床に置いたサーキュレーターの風でユラユラ揺れる軽やかなモビール作品群となっている。題名の変形菌とは、キノコやカビのように「子実体」で胞子を作って繁殖し、大型アメーバ状の変形体となる生き物のこと。世界の生き物には不思議な形をしたものがたくさんある。さらに今回の作品は有機物の分子模型のようでもある。そして作品のブルーはマットで地球を表している。それらの中に包まれる体験は忘れられない。気の遠くなるようなステッチの作業から生まれた壮大な作品群は作者の強い想いを感じさせる。
 



「Living on blue planet」 



 


 


 8、広瀬 明日子 「再生の杜」
『朽ち果てた杜に現れた白い予兆- それは再生を希求するエネルギーの現れでしょうか。』(素材: 麻紐、金網、シマナイ生地、晒、木粘、アクリルメディウム、木粘度、スチロール他) 「古代竹群生」『人知れず産土(うぶすな)に生い立つ古代竹はやがて群生となって大地を癒すのです。』(素材: 麻紐、金網、シマナイ生地、晒、木粘、アクリルメディウム、木粘度、スチロール他) 
(この二つの作品は題名とその意味を理解する必要がある。スタートを予感させる作品は明るく廃墟の暗さは感じない。作品の裏には多くの釘があり麻紐が結ばれている。再生の杜の作品の台の青色(クラインブルー)は、もしかしたらフランスの塗料会社のイブクラインブルー?、古代竹はマットな土色のライトブラウン。前回の展示で、屋外の庭にたくさんの古代竹が群生した光景を思い出した。


「再生の杜」部分  



 


「古代竹群生」 



9、武笠 街子「窓辺1、秋迫る」「小窓の遊戯」「窓辺2、初冬のなごり」 
『クモの巣に魅せられて」「日本にはおよそ1500種のクモがいるそうだ。すべてのクモが巣をつくるわけではない。種類によって形も大きさも異なる。「窓辺シリーズ」2点はジョローグモの巣。大きさはLサイズで馬蹄形が特徴。網目がとても緻密で美しい。その種は、6月〜11、12月まで生息する。8、9月になると最も美しい芸術作品を作りだす。11月になると、クモの一生は終わると共に緻密な網の造形も朽ちていく。窓辺に見る巣の姿も無くなる。他にも様々なクモ達がせっせと作り出す世界。屋外でクモの巣鑑賞も楽しい。』
(クモの巣に魅せられた作者は自宅の庭で採取したクモの巣で作品を作り続ける。額も自作するが、並んだ3つの額は総体で左右対称。さらにその微細な金属加工はかつての江戸や明治時代の金工技術を彷彿とさせる。8年前の展示では飾られた宝石のようなクモのミニチュア(過去のネットで見られます。)を思い出した。この額縁も含めて見ごたえのある作品となっている。
 


 左より「窓辺2」「小窓の遊戯」「窓辺1」



「小窓の遊戯」部分 



 


10、山﨑 美樹 「営巣」「みのむし」
『風が強く吹いた次の日、たくさんの欅の枯れ枝が地面に落ちています。それらの枯れ枝を使っても鳥の巣のようなものを作りました。どうぞ中に入ってください。ヒナになった気持ちになれるかもしれません。」「みのむし」「欅の枝の端っこは、とても細いので軽く熱すると、自在に曲げることが出来ます。曲げた枝を組み合わせて遊んでいたら段々、蓑虫に見えてきました。』
(都合で「、」や「。」を追加したが)詩的な解説文に作者の温かな想いが伝わる。この中に入った観客は森の鳥、あるいは巨大な蓑虫? となり自然と一体化した気分に。単体作品でもあり花鳥風月のコンセプチュアルアートでもある。鳥が飛び春の花が咲くナチュラルな美術館の庭と作品がマッチした。「みのむし」は、玄関の吹き抜けに吊り下げられていて観客の人も面白がっていた。組み立てや解体はパネル化され工夫されていることにも感心した。)
 


「営巣」 



 



「みのむし」 



11、矢野 理恵「空中散歩」
『インドネシア・スラウェシ島の古い樹皮布は、厚みは均一でなくも穴があいていたり・・・と、なかなか手強い布です。布と戯れながら生み出された塊はのっそりのっそりとどこに行くのでしょう。』
(会場の入口に置かれた作品に皆驚く。サバンナに屹立するバオバウの木のような不思議な物体に凸凹の不思議な塊。一見すると自然物のドリアンかと思われるが作られたと知り、どうやって作ったのかと作者に質問。延々と答える矢野さんは常に笑顔だ。塊は寄生し作品や建物の手すりに絡まり、さらに横に広がりまさに空中散歩しているかのよう。なぜこんなアイデアが生まれたのだろうか。)
 


「空中散歩」