藤森哲個展

※ 展覧会の様子がパノラマでご覧になれます



2024年 3 月28日~ 4月14日
藤森哲個展 「遡及暦-仮想未来-」
  作者コメント
「時間と文明の発達が必ずしも比例しないことは、歴史が証明する通りである。自身の歩調に合わない速度での技術的進化は、決して明るい未来を予見しないが、その様は既に滅びた文明の姿と重なる。いつか私たちにも起こり得る未来の姿を提示する。」

  展覧会によせて             平松朝彦
今回は最近のコバヤシ画廊などの展示を見て、当然そうした大作が展示されると想定していたのだが、そうではなく、ジャンルが絵なのか造形オブジェなのか、という問題作? が展示された。いわゆる公募展の規定の範疇に収まらないだけではない。広い空間に一つだけ置くとすると展示空間の質が問われる。 
まずは「後未來興亡図」、彫像のモノリスを思わせる高さ約2.4mの作品は、絵画やオブジェなどという人間の概念を超越して起立している。さらにそこに描かれたものは、かつての水墨画の山水画、例えば雪舟の「四季山水図」のようでもあり、ミケランジェロの天地創造のようでもあり、見方によっては最新のCGを使ったアニメーションのようでもある。しかしそこに描かれているは、植物でも岩でもない。そういう意味の具体物はないがリアリティーがある。まさに新たな仮想現実の世界。宇宙からきて人類の前に突然姿を現した謎の物体を見て、人々は、これはいったいなん何なのだ、何が描かれているのだ、と騒ぐ。これを見て何かが起こりそうな予感。作者はそうした物を作りたかったのだろうか。これは見る人に評価を迫ると同時に、人を選ぶ作品でもある。もしかしたら従来の目からは受け入れられないのかもしれない。多少飛躍するが、戦前、坂田一男がパリのマシンエイジ(機械の時代)の絵を描いて日本の美術評論家に受け入れらなかったように。
次に曲がった変形の三角形のような作品。これも前者と同様であるが、モノリスがさらに変異した謎の物体。こちらの方がアバンギャルドかもしれない。自立できない作品。もはや美術館で飾られるいわゆる「芸術作品」を超えた物体。これも見る人を選ぶ、を越えて美術館を選ぶ。
次の平面作品の「不在の実在」、「未來遺構」は前者に比べれば従来の美術作品の延長にみえる。しかしそれらは回転したりうごめいていたり、機械的なような、生物的なような不思議な絵画。よく見ると絵画という物体ではなく突然目の前に現れた光景なのかもしれない。その一瞬を高速度カメラで撮影したようなイメージ。これも見ているとこれは何かと勝手に脳が解釈を始める。そして脳の記憶からその絵を解読しようとするのだが、それはまったく意味のないことかもしれない。これも別の意味で人の評価を拒む。こういう絵がこの世にある、と知るだけで良いのだ。
そもそも藤森氏の作品に特徴的なのは、油絵具をゴムベラでスクラッチする技法。以前にも油絵の具のパレットナイフで絵を描く技法はあった。たとえばゲルハルト・リヒター。濃淡だけ、は当館で展覧会をした津川純子氏がいる。しかし恐らく両者はお互いにその作品を知らない。濃淡というかグラデーションは絵画表現の肝であるように思う。水墨画、水彩画では水で濃淡を表す事が出来る。日本のかつての木版版画の濃淡の表現は息をのむ。キュビズムでは、セザンヌ、ピカソ、レジェいずれも不器用ながら濃淡に挑戦した。藤森氏の作品で特徴的なのはその諧調がスムーズで無限な事だ。そして比類ないほどダイナミックで切れが良い。今回の作品はさらに職人技といえるまでの物となった。当館にとってもこうした新しい手法の作品を展示できることはうれしい限りだ。今回の展覧会が今後の作者の転機になることを願う。




逆日及暦 188.0×18.0~77.0×5.5 油絵 紙

「後来史 興亡図」244×88×185 油絵 綿布



不在の実在 161.0×97(M100) 油絵 綿布

未來遺構Ⅵ 100.0×80.3(F40)
油絵 キャンバス

未來遺構Ⅳ 100.0×80.3(F40)
油絵 キャンバス

未來遺構Ⅴ 100.0×80.3(F40)
油絵 キャンバス