髙橋 俊明・鈴木 齊 二人展 「刻(とき)を象(かたど)る」

※ 展覧会の様子がパノラマでご覧になれます




● 6月20日~7月7日
髙橋 俊明・鈴木 齊 二人展 TOSHIAKI TAKAHASHI・HITOSHI SUZUKI
「刻(とき)を象(かたど)る」
ダンスイベント 6月30日 中野綾子、山下美佐緒
 音楽イベント 6月29日 勝間田佳子

髙橋俊明、鈴木齊

髙橋俊明 -静謐の杜へ-
作者コメント 「秋田の里山に生まれ育った私は、幼い頃から目の前の山に続く道に入るのが好きだった、杉の香と静けさに満ちた森の中を流れゆく霧に、時を忘れ、夢の中を彷徨うようであった。こうした思い出が、今の抽象造形作品制作のエネルギーとなっているに違いない。 (髙橋俊明)」

高橋俊明

高橋俊明

高橋俊明

鈴木齊 -彷徨えるものたちへ-
「いつの頃からか流木や鉄錆に魅了されている。流木のまろやかな曲線と素朴な素肌は、全ての感覚を心地良くさせ、鉄錆と共に「刻を蓄積する世界」へと誘ってくれる。彷徨う流木や鉄板の腐食は時に様々な社会現象を想起させ象徴となり、最近はその対象への「祈りの場」を創出しているように思えてくる。(鈴木齊)」

「彷徨える舟」に想いを寄せて 
   すずき ひとし
3.11から13年目を迎えている巨大な津波にのまれた家々や港の舟たちは、沖に運ばれ、太平洋の時計回りの還流に乗って漂い続けることになってしまった。あるものは数年後に形状を変えて北米大陸の海岸にたどり着き、あるものは更に数年の後に南国の浜辺で島人に発見されている。複雑な海流にも揉まれながら、太平洋の中のいくつかの溜りにとどめられているものも多くあるという。その処理を巡っては、国を越えた人々のあたたかな交流を生み出したものもあれば、無念にも遠い地で終焉を迎えたものもある。すべては地球の営みの一部に巻き込まれ、自然の流れに身を委ねながら、悠久の旅の途上にある。震災後、13年を迎え、流木という海の恵みを制作の糧とする身として、彷徨い続ける大海の舟に、彷徨い続ける魂に、せめてもの想いを寄せたいと思う。 2024.6.20

鈴木齊

鈴木齊

鈴木齊

・二人展に       平松朝彦
髙橋氏は秋田の豪雪地帯の生まれ、鈴木氏は青森の生まれ。それぞれの風土が今回の作品となっている。まず、髙橋氏は冬季には3mの雪が積もる生活を強いられる、地面の代わりに真っ白の世界の中で過ごす。その夜明けは下の方から夜が明けてきて、このように空は荘厳で美しいグラデーションとなるのだという。そのような雪国の体験を持たない我々は、南国の海と白砂の世界を想像してしまうのだが、それでもかまわないという。
そして手前の白い線状の物が積みあがった造形は浮遊する様で、見たことがないデリケートな造形作品。正確には白い線は竹串で、よく見ると下部は色をつけられておらずそれもグラデーションだ。その造形物には上からスポットライトが当たり、光のあたり方により、見え方が微妙にかわり、その影が床に広がる。スタイロフォームを素材としたこれらの作品。その美しい発色は若い時から積極的に使っているアクリル絵具により生まれ、手前の四角い立方体も同様だが、表面のザラザラした加工や傷跡のような線が自然物のような人工物のような不思議な感覚。これらの三つにより私が知る限り世界で一番美しいインスタレーションが生まれた。新たな素材で新たな表現をしようというシニアを若者は見習ってほしい。
次の鈴木氏の作品群も全部で一つのインスタレーション。全体に照明を落とした室内の手前には難破したような舟。そして奥には、上高地の大正池の立ち枯れした樹木を思わせる白い木が、その下方には円板がたくさんやはり屹立していて何やら尋常ではない雰囲気を醸し出す。舟はその地を目指しているようであるが途中で座礁し、その周りには小さな破片となった流木がたくさん漂っている。その隣には空中から吊るされた円板に光が当たり、さらにその隣には壁の円板とさらに薄茶色になった大きな百合のドライフラワーが70本位束ねられている。そして手前には白い平たい石が配置された。遠目からそれを正面から見ると観音菩薩像のように見える。その石は、下北半島の恐山の河原に積み上げられた霊場を思わせまさにあの世、彼岸の世界を現出させた。今回の鈴木氏の作品に多用される鉄錆の円板は、満月のようでもあり、観音像や阿弥陀仏の光背、後光を表しているかのよう。仏像にはよく、雲が付随されるが、今回それは流木で表現された。
これは東日本大震災の死者15900人、行方不明者2520人にたいするレクイエムなのだ。流された家のがれきは流木と化して太平洋を彷徨っているが、今なお行方不明となっている人も同じだ。流された人たちがあの世で寄り添い浄土を目指して集まっている壮大なインスタレーション。それは青森の人だから生まれたのだろうか。
毎年、当館では8月には当館でレクイエム展をしているが、一足早い展示となった。東日本大震災についてはかつて当館でもレクイエム展を開き、薄磯海岸の写真も展示した。いつか日本の美術界で、鎮魂の傑作が生まれる予感がしていた。しかし当館でその予感が実現するとは。この鈴木氏の素晴らしいレクイエム作品はどこかで永久に展示してほしいものだ。
イベントでは勝間田佳子氏のジャズのサックスが会場に気持ちよく響き、中野綾子、山下美佐緒両氏が会場の中で自由にモダンダンスを披露した。さらに最終日に、万城目純氏が駆け付けてダンスを披露してくれた。


奥、山下美佐緒、手前、中野綾子

山下美佐緒、中野綾子

勝間田佳子

万城目純

追記 鈴木齊  「いわき市薄磯の集落が親父の出たところ。その海岸のはずれの塩屋崎の灯台守をしていたのが、私の母方の祖父でした。そんな関係の場所です。2020年の3.11の被災時刻に、薄磯の浜に行ったら、地域の僧侶が集まって、慰霊祭が営まれていました。その写真である。」
・薄磯海岸個人的体験   平松朝彦
私は東日本大震災の2年後にいわき市の薄磯海岸を訪れた。堤防は高さ1mくらいしかない。夏には海水浴でにぎわう海岸の穏やかな海の反対側には多くの住宅地が並び、平和な日常生活が営まれていたはずだ。自治体はこの地の津波の危険性をまったく考えていなかった。そして数mの津波ですべての建物は流され、残されたのは基礎のコンクリートだけ。 
私は災害の記録としてパノラマ写真をとろうと一段高いコンクリートの上に行くと、すでに外国の少年、少女たちが、ハープやギターで鎮魂の音楽を演奏しようとしていた。そのために外国からわざわざこの地を訪れたのだろうか。彼らの邪魔をしないようにあわただしくその場を去り、その音楽を耳にすることはできなかった。
しかし偶然にもこの地に鈴木氏が慰霊の柱を立てられた。他の被災した海岸と同様に。

薄磯海岸慰霊祭、写真鈴木齊

鈴木齊

薄磯海岸、写真平松朝彦