水の美学
2023年 2月16日~26日「水の美学」
今回の展示の注目は幅6m、2枚組の大作「流れ図1」「流れ図2」。「流れ図1」は北斎の「神奈川沖浪裏」のように波は高くうねる。圧倒的なのはそのしぶきの描写である。「流れ図2」は一転して、渦を巻く潮。光琳の光琳紋(波)を思わせる。日本人は水の表現が巧みで、宗達は松島図屏風でうねる波、北斎は「わらび手」など水の瞬間の姿を捉えた。上記の作品はそうした日本の絵画の歴史につながる絵画。さらに幅、4.2mの大作「朝陽の海」も迫力がある。その他、波以外でも水の多様で変幻な姿を描いた作品群、幅3.6mの4枚組のオブジェ「ほとばしる」、アクリルで描いたカラフルな「穂高連峰」、和紙ではなく銀紙に書いた波の作品は、文字通り波の光を表現している。あらゆる墨の技法を駆使した絵画群といえる。
今回展示していないが、平松は「水神讃歌」の大作があるように、水は聖なるものである、と考えている。それは神道や宇宙意識に通じる世界観である。
人間は地面の上で生活しているためあまり実感はないが、地球表面の約7割は海であり、宇宙から地球を見れば青く光っている。その青はまた、空の色を映したものである。さらにその大地は緑に覆われている。海の水は太陽の熱で水蒸気となり雲をつくり、大気圧の差によってつくられた風は大陸の山の方に向かい、冷やされて山に雨をふらせ、川となり海に戻るという地球規模の循環システムを構築している。日本はさらに水が豊かで水の国といわれるのは、海に囲まれ、大陸の隆起により山がたくさん生まれて雨が多いということとつながる。山に降った雨は植物を育て、地球を緑化させるが、水及び植物は動物の生存に必要である。私達の生命を保つことになる。
東洋の水墨画、山水図は中国哲学を表すものだ。すべては流れの中に存在し、人はその中で生きている。一方、西洋では主役は人間で自然は背景に過ぎない。著名なモネの「睡蓮」は日本の庭園を再現したものでジャポニズム。世の中に水を対象として描いた絵は意外に少ない。
美術において、水はどのように捉えられるか。水を使う美術に水墨画がある。日本画は膠、洋画は油絵具。墨は油と水のコロイドであり、紙(和紙)や絹本を染めるが油絵は塗るイメージ。東洋において和紙と墨は文字を書く筆記用具でもあり書道が生まれた。書は形が決まっており書道においてはその中で美を追求した。さらに日本ではひらがなという優美な文字を生まれた。宗の時代に中国の作家たちの水墨画が日本の絵のお手本となった。それらのお手本は、ひらがなのように次第に日本化、和様化していく。柔らかい線は、たっぷりとした水を使うことでスムーズな線が生まれる。そのような線は、和紙に墨が染みこむことでうまれ、キャンバスと油絵の組み合わせではできなかった。
作品一覧 平松輝子・「穂高連峰」(アクリル、和紙コラージュ) 1972・「流氷」(墨、和紙)、・「水と石」(墨、和紙)・「水と石」(墨、和紙)・「朝陽の海」
1993(墨、和紙)・「流れ図1 」1993(墨、和紙)・「流れ図2」1987(墨、和紙、・「渦」(墨、和紙)・「水」(墨、和紙)・「吹雪く海」(墨、和紙)「ほとばしる」
1982(墨、和紙)・「吹雪く」1986(墨、和紙)・「白い波」1993(墨、和紙)
・末松正樹「エーゲ海の夜明け」1977(元多摩美術大学の学長代行、第二次世界大戦中はフランスで収容所に収容された。平松の友人でもあった。)(油絵)
・松井貞文「石と流木より」2019(オブジェコラージュ)・信原修「自然との対話-Elements」 (写真)(自然の石をアルミで覆うオブジェ。川でのインスタレーション)・大手仁「In
the forest 20-d」 (シルクスクリーン)・酒井裕美子「噴水」 (エッチング)・日比野猛「水の行方」2023(アクリル)(水抜きのある画面にアクリルの絵具を流すというインスタレーション)